武術は生死をかける場において勝ち抜く方法を求めました。このためには相手の攻撃に対し、反応しない内面の不動の姿勢を保持が必須となります。
禅においても、頭に生じる思いに反応せずに、心を一点に追い込むことによって「無」が実態であることを全身で体感します。
武術において、不動の内面から自然と生まれる無意識下の最適の動きを目指していました。
究極の無敵の状態では、悟りを開いたときのような周りと完全に一体化して静寂と喜びに包まれた状態だと思います。その時ただ無心に動くことが相手を完全に制する動きになっています。山岡鉄舟の目指した「剣禅一如」です。
今までのブログで述べている「意識の固定」を極限まで深めた状態だと思います。
もちろん今を生きる我々は極端な戦いの場にはいませんが、攻撃してくる相手を制し崩すのは内面の不動による調和であることを稽古を通じて会得していきます。攻撃に対して衝突する反応は相手の攻撃を強め更なる衝突を生むことを体感します。
稽古を続けることでる日常生活においても調和する生き方を自然に目指すようになります。他人との関係だけでなく、自分自身の内面の衝突も無くし不動の姿勢の保持を目指します。
大事なことは、倫理観から「調和」が大切と言っている考えるレベルではなく、身体で自然に会得していくことだと思います。
自分がこの年齢になると、衝突の無いゆらぎの少ない生き方が正しい発想を生み、人と人との良いつながりを決め、運命を決めていくことがわかります。
若い時は自分の能力で人生を切り開いていくような気がしていましたが、間違いでした。手遅れともいえる晩年になっていますが、武術空手に出会えて軌道修正ができたのは幸運でした。