道場生の中に消防士の人がいます。救急隊に所属しています。鍛え上げられた柔らかい筋肉の持ち主です。極真空手の経験者で黒帯もとっています。
稽古が始まりしばらくの間は立派な体に関係なく彼を崩すことは容易にできます。
ところが時々ですが彼は技をかけられ崩されるうちに突然技をかけにくくなることがあります。その時の彼はそれまでと違った姿勢となり美しい立ち姿を見せます。仙骨は立ち上体が両脚に直結し直立している自然体となります。本人は意識していないのですが、自然とそうなるようです。
患者を救急車に乗せる業務に従事していて、常に人を救う気持ちでいます。時には一人で130Kgぐらいの患者を一気に立ち上がらせて寝台に乗せることもあるそうです。後で考えるとよくあんな重い人をもちあげられたなぁと不思議に思うそうです。
人のための生き方が突然強く変化する身体に反映しているように思えます。人のための感覚が何かの拍子でよみがえり、美しい立ち姿になり、倒しにくくなるのだと思いました。
前のブログに書きましたが、私の課題の一つがサンチン立ちの足の内側への絞りです。限界を自分で決めるなとの館長の話があり、仙骨を立てた運足の稽古をこの何日かしていました。
仙骨が立つ感覚がおぼろげに出来てきました。また、それまで全く絞れていなかった足の内側の絞りが少しできるようになってきました。それでも力を多少入れて絞っていました。仙骨周りも若干の力みがありました。
昨日あたり仙骨は立った状態でフッと仙骨周りが脱力したのを感じたのです。足も十分とは言えませんが、脱力し絞れています。
その時の感覚を思い出しながら倒しにくくなった消防士と向き合いました。自分の仙骨を意識した時不思議なことに彼の仙骨が明確に感じられたのです。
直後に彼は声を上げて腰から崩れました。
この経験から、今まで不満足な崩し方になっていた時の原因が下半身の弱さであったことがはっきりとわかりました。
これが館長の言う限界を決めずに型をする意義であることがわかりました。このようにして進歩していくのかと改めて型の威力を知ることが出来ました。
館長は型の不満なところを一か月かけて修正するのだそうです。それが修正されると次の不満な個所が出てくるそうです。それをまた一か月かけて修正するのだそうです。これの繰り返しが稽古だそうです。
修正されたとき、身体の新しい使い方ができるようになるそうです。「まだ、この部分が使えていなかったのかと、本当に驚きます。」