禅は座禅をすることで内面の修行をします。
それなのに不思議な身体能力を発揮する話があります。
沢庵和尚は安土桃山時代から江戸時代にかけての有名な禅僧です。徳川家光の依頼によりしばしば登城して禅を説いています。
柳生宗矩のために「剣禅一味」の境地を説いています。この境地を表したのが「不動智神妙録」です。禅をもって武道の極意を説いています。なぜ禅が武術の奥義を示すことができるのでしょうか?
禅も武術も外乱にかかわらず不動の内面を保つという意味で共通ですが、身体操法の武道の奥義を禅が示すのは当然とは思えません。宗矩の息子柳生十兵衛からも慕われ多くを教えたと言われます。沢庵和尚が柳生十兵衛を投げ飛ばしたとの逸話もあります。
私の知己に、有名レストランの総支配人をしていた人がいますが、37歳の時座禅に重きを置いていた社長の命で大阪での5日間の大接心に参加しました。三宝交流会の安谷白雲老師の主催の大接心は僧侶を主体に100人を超す参加者がいました。白雲老師は曽洞宗永平寺の館長でありましたが、考えるところがあり辞して、雲水の道を歩みます。後に臨済宗の公案を取り入れて三宝交流会をつくり鎌倉に禅堂を建てます。
その時総支配人は見性します。白雲老師の印可を受けました。紫雲軒正禅和尚です。正禅和尚の印可の後輩には薬師寺の高田好胤師や中尊寺の今東光師がいます。
拙書「右脳の空手」にも書きましたが、正禅和尚が大阪での大接心に参加しているとき 三度警策で打たれます。三度とも樫でできた警策がバラバラに折れて飛散しました。三度目の時に突然悟りを開き、別室の来客中の白雲老師のもとに駆け寄ります。白雲老師の前にいた来客を座布団ごと動かして老師の前に座ったとき、老師は「うむ!」と言って見性を認めます。後で気が付くとお客は座布団もろとも庭に落ちていました。
警策がバラバラになることは全く考えにくいことです。
正禅和尚に一度座禅の姿勢を教えてくださいと頼みました。普段普通のおしゃべりなおじさんですが、座禅の姿勢を取ったときに周辺の雰囲気は一変しました。
大きな岩の塊が現れたように感じました。
この岩の塊を打てば警策はバラバラに折れることがわかりました。
内面が変わることで身体が変化するとしか思えません。