それは突然やってきました。
立膝立ちで向き合い、両手のひら同士を合わせて相手を崩す稽古を指導していました。
どうしても手のひらを押してしまい力の押し合いになります。
相手に「入り込み」をして、そして手を軽く動かす。この順番でないと相手は崩れません。
「入る込む」方法として、胸を前に出すように指導をしていました。道場生の中丹田を緩めるために、手のひらを中丹田の裏に当たる背中に当てて前後に動かしていました。
何人かの道場生は中丹田部分が緩み、柔らかく前後に動かすことができるようになりました。すると中丹田が相手に近づけることができるため「入り込み」となり、相手が背中から寝る形で後ろに崩れるようになりました。手の平を左右に調節して動かすと崩れる方向は左右に変えることが簡単にできます。
中丹田を緩めることは重要なんだなと思って自分でも胸をそらしたりつぼめたりして柔らかく前後に動かしていると、突然中丹田が開いた感じがしました。
胸に丸い穴が突然開いて、直径20cmほどの強い光線が体から前方に射し始めた感覚が生まれたのです。
館長は常々言っていることがあります。
「時々、身体に変化が突然現れます。型のできていないところを修正するための稽古を繰り返ししているときとか、全く予測していないときに現れます。それで技のレベルが急に変わります。
変化が生じて初めて、身体のこの部分を使えていなかったのかとわかります。」「これの繰り返しです。」
具体的にどのように変わったかの説明はありません。
気が感じられる複数の人は、館長に会うと胸が大きく開いていると言います。
もちろん私の今回の経験は館長のそれとは全く別物であることは明白だと思います。
それでも胸が開いた感覚は持続し、そのまま相手に触れると簡単に崩れます。ある意味自在に技をかけることができます。
この現象は伝染するのでしょうか、道場の中も別な空間になったような感じになり、道場生は出来なかった技が次々にできるようになっていました。一番驚くのはその姿勢の美しさです。美しい姿勢で相手を崩しているのです。力による濁りは一切ありません。
感激の空間になっていました。
この状態は持続するのでしょうか? さらに進歩の道に進めるのでしょうか?
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後日いただいた館長からのメールの一部をご紹介します。
「良かったですね。素晴らしいことです。
胸から光が出ていると思うのと本当に出ているのは全く異なることが身体でお分かりになったと思います。
持続すれば、”見る”ということ、つまり観の目の習得につながります。
それには稽古、それと日常生活これに限ります。
世の中を争いのない調和の世界に少しでも変えるために学んだことを日常に実践してください。調和の世界でお待ちしています。」